トイレットペーパーのおまじないで気づいたこと

店長michikoです。5/29の記事「おまじないで縁を切る5つの方法」の中にトイレットペーパーを使うシンプルなおまじないがあります。一応下に書いておきます。

やり方

1.トイレットペーパーの側面(立てた時に上・もしくは下に来る面ですね)に縁を切りたい相手の名前を書きます。
2.日常生活内で使い切ります。使い切った頃に縁は自然と切れています。

これだけです。

で、実は私、実行しているんです。(^^;)

できればあまり関わりを持ちたくない人がいるので、うまくいけば自然に縁が途切れてくれれば儲けもんだな程度の気分でやっているだけなんですが。

もしおまじないが効力を発揮せず、それでもその人が関わりを持ってくるなら、それはそれで「ま、いっか」とあっさり受け入れちゃうことにしています。ハハハハ。

長期間継続しているので、結構たくさんトイレットペーパーを使いましたよ。最初の頃はマジックで名前を書く度にその人の顔が目の前に浮かんで来るし、水に流しながら「これで縁が切れるといいな」と思っていたもんです。

しかし、人というものは慣れの生き物です。ずっと継続していると、そのうち惰性でやるようになるんですね。

トイレットペーパーが切れて新しいのを補充するとき、何も考えずマジックを取り出し、機械的に名前を書くようになりました。最早単なる習慣と化してしまったのです。

使って流すときも、何も考えずに流すようになりました。

マジックで黒々と書かれた名前が目に入っても、それすらもう、単なる記号か模様にしか見えないのです。

さて、今日も新しいトイレットペーパーを使おうとして、無意識にマジックで名前を書いたのですが・・・

その記号とも模様とも見える文字を見て、ちょっと不思議な感覚に陥りました。

一瞬「あれ?誰だっけこの人?」と思ったのです。

一瞬ですけどね、一瞬。すぐ「ああ、あの人!」と思い出しましたが。

そこでハッと気づいたんです。

私は「若年性認知症」だと。。。

(°o°C=(_ _;バキッ 

違うだろーー、違うだろ!!(このハゲェー!!!)

あ、失礼しました。もう一度。(鼻血フキフキ。)

そこでハッと気づいたんです。。。

あ、もう、どうだっていいわ、この人、って。

おまじないが効いても効かなくても、そんなのも、もうどうだっていい。

何もかもその人に対するこだわりや執着心がいつの間にか無くなっていたのです。

かといって観音菩薩のような悟りの境地に至ったわけじゃないんですよね。慈愛の気持ちで相手を包み込もうとか、そんな気持ちには到底なれません。

だからもしその人が目の前に現れたら、きっと相変わらずその人の言動に不快な気分を味わうでしょう。

でも、それがどうしたっていうの?大したことないじゃん、と気づいたのです。不快に思ったらそれをはっきり相手に告げて喧嘩してもいいし、それが面倒だったら今までと同じで適当に相づち打ってやり過ごせばいいじゃない。私の人生にどれだけの影響があるっていうのよ。

要は「相手にしなければいいじゃん。」と気づいたのです。そのときだけの相手なんだから、いつまでも相手への感情を引きずってどうすんじゃい、と。

向こうはこっちが意識しているほどそんなに意識してないですよ、きっと。

何を大きく騒いでいたんだ、私は。そうやって問題児を勝手に作り上げているのは、自分自身の執着心じゃないか。(相手を嫌ったり敬遠して意識するのもこだわりの心=執着心だよね。)

おまじないをして縁を切ろうと意識するのも執着心。

けど、今はもう、何もかんもみーんなひっくるめてきれいさっぱり「水に流し」ました。

仮にこの後、物理的に出会ったとしても、執着心がないなら「あんた誰?」状態ですからね。(^^;)

縁が切れたも同然。

このおまじないの真の目的って・・・まさか・・・自らの心の内の執着心を水に流して解放させること?(だとしたら深いですなー、でも考え過ぎか)

よく、新月の願い事を紙に書いたらあとはきれいさっぱり忘れることで叶いやすいって言いますよね。おまじないも必死こいて相手を意識している内は叶わないんじゃないかな。

さんざん名前書きまくって、さんざんトイレットペーパーを流しまくりました。もう何十個使ったかわかりません。これだけ飽きるまでやれば執着心もなくなりますわね。ここまできたら、これはもう、本当におまじない効果が出てきてもおかしくないはず、と私は思います。

一つ気づきを得ましたので、今のトイレットペーパーを使い終わったら、もうおまじないは終了します。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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